2009年08月22日

国名

かつては琉球國と称していたが、今日では一般に琉球逆援と呼ばれている。「りゅうきゅう」は元来中国の史書『隋書』卷81 列傳第46 東夷 流求國に記述される、大業6年(610年)に隋の属国にされた国の呼称「流求」によるものである。後の『北史』、『通典』、『諸蕃志』では『隋書』の内容を踏襲、『太平寰宇記』においても内容に大差はなかった。『文献通考』により琉球は、台湾と沖縄県周辺の混同記述となった。明との交易が始まった14世紀頃には沖縄県周辺の呼称として定着し、また自国の呼称として琉球國という国名が、1872年(明治5年)の琉球藩設置まで用いられた。1874年(明治7年)サン・デニーは『文献通考』の一部を翻訳し、その琉球条により流求は台湾であるとする説を発表し、1895年グセフレ・シュレーゲルは、元以前の琉球は台湾で、明からは沖縄県周辺が琉球になったとする説を発表した。1897年(明治30年)帝国大学文科大学(現東京大学)史学科教授ルードヴィヒ・リースの著書『台湾島史』(吉国藤吉郎訳、1898年(明治31年))でも流求は台湾とし、他に漠然と中国東方にある島々を指していたとも言われて、必ずしも今日の沖縄県周辺を意味する呼称ではなかったとされる。

posted by 首里城さん at 10:19| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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